初めまして。佐藤ゼミM2生(公共政策大学院所属)の會田真彩です。このブログでは、ゼミの皆さんや同ゼミにご関心を持たれている方に向けて、佐藤ゼミでの経験を綴りたいと思います。私は、M2の5月頃から佐藤ゼミに入りました。所属している研究科は、修士論文執筆が修了要件ではなく元々指導教官はおりませんでしたが、個人的に佐藤先生に依頼し、修論の指導をして頂くこととなりました。年度の途中で参加しましたが、みなさん温かく受け入れてくださいました。
佐藤ゼミにお邪魔して良かったと思うのは、自分の関心事について考え続けることに自信を持てたことです。私は、自分の研究がどのように社会の役に立っているかを自問し、時に自信を失っていました。しかし佐藤ゼミに入り、「好奇心に従って追求していれば、研究の社会貢献性は、結果として徐々に見えてくる」と考えるのも良いかもしれないと思え、日々の勉強がより自由に、楽しく感じられるようになりました。
関連する印象的なエピソードを一つ、ご紹介します。私は途上国の識字率の向上に関心があり、インドのシリグリ(※1)という地域をフィールドとして研究を進めていました。現地の貧困な児童への就学支援の効果を高めるにはどうしたら良いか、支援団体でインターンシップをしつつ学術的な検討を試みていました。しかし同時に、名の知られていない地域について日本の一学生が研究することで、何のためになるのか、確信を持てずにいました。その頃に佐藤先生から頂いたご助言が、記憶に残っています。それは、
「研究は、必ずしもコンサルティングのような行為ではない。いかに実践的なディマンドを背景に押さえ込み、『長期的に』自分が役に立てる人材になれるようなリサーチクエスチョンを立てるかが重要ではないか」
というものです。この言葉を頂き、以下のように考えるようになりました。
ー 数週間だけシリグリに滞在した私にとって、シリグリという地域が「良くなる」方法を提示することは難しい。また、現地の方々も必ずしもそれを望んではいない。自身の主観的な思いは内に秘め、その地域の実情を、新しい視点を持って調査し、丁寧に記録していくことが修士学生のできる最大の貢献ではないか。そしてその自覚を持って立てた問いを追求する経験が、長期的には自分自身を、社会に役立つ人材に成長させるのかも知れない。ー
最終的には、様々な事情により日本国内の教育政策について執筆することになりましたが、佐藤先生のご助言を、研究のベースとなる考え方として胸に刻んでいました。上記の先生のご助言に加え、研究を昇華させる方法を模索している際に出会えて良かったと思う本があるので、紹介します。佐藤先生のご著書、『野蛮から生存の開発論ー越境する援助のデザインー』の、特に第1部第3章「たった一つの村を調べて何になるのか」(※2)です。ご関心があれば、是非手に取ってみてください。
論文を書く際は、その研究の意義づけが求められます。しかし、端からそれを追求するといつか息切れしてしまうかもしれません。まずは心の内から湧き出る興味に従って走り続けることが大切なんだと思います。私は、佐藤ゼミでの経験を通じて、研究をするとはどのようなことか、その一端を知ることができたと感じています。このような、学問に浸ることのできる環境で思考を深めたい方は、ぜひ佐藤ゼミの扉を叩いてみてください。ご自身の道を一心不乱に走り続ける佐藤先生やゼミ生が、待っています。
最後になりますが、佐藤先生、ゼミ生の皆さん、約8ヶ月間本当にありがとうございました。佐藤ゼミがこれからも発展していきますように。心から願っています。
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※1 シリグリという地域は、インドの西ベンガル州北東部にある平地で、ブータンやネパール、バングラディシュとの国境付近で交通の要衝となっています。私が滞在していた2023年9月時点では、他の地域から出稼ぎに来る貧しい子ども達や、家を持たない多くの人々が路上生活をしており、外国人観光客はほとんど見られませんでした。仕事や学校のために忙しなく日常を送る人もいれば、行く当てがなく物乞いをしながら毎日を過ごす人々もいて、またその中間のような人もいる、一言では形容しにくい興味深い地域でした。
※2 佐藤仁 (2016)『野蛮から生存の開発論ー越境する援助のデザインー』ミネルヴァ書房.
Cf.「著者による紹介」佐藤仁研究室HP <satoj.ioc.u-tokyo.ac.jp/works/single/yabankara/>.
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