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修士課程を振り返って


 はじめまして。佐藤研で修士課程を先日修了した柳谷奏明と申します。学部時代には理工学部で環境汚染物質の定量分析を行っていました。そんな私が佐藤研に入るに至ったルーツは、今振り返ると学部2年生の頃、教養科目として受講した「開発協力論」という授業でパプアニューギニアの山地民の生活の映像を見せられ、自分の住む世界と全く異なる世界に惹かれたことであったかもしれません。私の投稿はこちらが最初で最後になりますが、佐藤研での2年間を振り返ってみたいと思います。あくまで個人的な感想ではありますが、皆様の参考になれば幸いです。


 言いたいことは3つあります。まず1点目は、佐藤研では、理工学部時代とは異質の難しさとやりがいを感じたことです。理工学部時代には、教授が定めた目標を達成するために実験を計画し、正確に実行・分析することが私にとっての「研究」でした。実験の遂行に専心する一方、その研究目的に対する意識は正直希薄でした。しかし、佐藤研では良い問いを生み出すのは自分自身です。「その研究のおもしろさはズバリ何?」とか「その研究をやる意味は何?」といった質問に真正面から答えることが要求されます。自分で問いを作る訓練が足りていなかった私は、知的にそそるような問いが出せず、最後まで苦しみました。その過程で具体的に強く感じたことは、①研究は他者(オーディエンス)との間に成立するものであること、②対象に向かう熱量(魂)こそが何よりも必要であること、そして③自分で問いを出せることはとても贅沢なことだということです。


 2点目は、学問のおもしろさを佐藤研で初めて体感できたことです。佐藤先生の授業では、開発や発展に対する私の凝り固まった考えを解きほぐされ、現象に対する見方の幅が、新たな仮説によって豊かに広がっていくことに対する興奮を覚えました。そして、おもしろさを感じたからこそ、もっと知りたいという学問に対する内発性も自然と湧き出してきました。これは小さな変化に見えるかもしれませんが、私にとってはとてつもなく大きな変化でした。いつの間にか良い成績を取ることにばかり喜びを見出すようになっていた学部時代までの私。そんな私が一旦死に、佐藤研で学問のおもしろさを知って、新しく再生することが出来たという表現も決して大げさではないと思います。


 3点目は、考えるだけではなく発信することの重要性です。佐藤研では、アウトプットの基本姿勢を鍛えられたと感じています。極端な考えかもしれませんが、何も発言しないことは、他者から見れば何も考えていないことと同じだと思っておいたほうが良いのではと思いました。たとえ自信が無かったとしても、そして勉強不足で結果的に恥をかいたとしても、新しい視点を持ち込んで議論に貢献してやるという意識をもって、批判を恐れず自分の考えを発信することを今後も意識的に続けていきたいです。私がこうした考えを持てるようになったのは、それだけ佐藤先生や周囲のメンバーから私自身が秀逸なコメントを頂いてきたからだと思います。


 修士課程全体を通して、私は自分自身の力不足を痛感しました。ただ、この経験は自分にとって絶対に必要な時間であったと思います。学部時代の自分を振り返れば、読書によって自分の考えを磨くことを知らず、わかりやすく人に伝えることへの意識も低く、学問に対しても向き合っているようで実は向き合えていない状態でした。まずは、過去の自分をこのように冷静に評価することができるようになったことが自分なりの前進なのではないかと思います。そして、何より佐藤研では知的なおもしろさに溢れた開発の世界と出会うことが出来ました。佐藤研での修士課程を終えた今、自分の中に人生を豊かにするような新たな柱を確かに打ち立てることができたと感じています。


 2年間、時にユーモアを交えながら様々な刺激を与えてくださった佐藤先生、そしてゼミの皆様、本当にありがとうございました!これからは解くべき課題を少しでも解決し、周囲に良い影響を与えられる存在になれるよう、「ほぐして突破」していきたいと思います。

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