top of page
執筆者の写真satoseminarhp

「勉強」嫌いな私が何故大学院に進学したのか。

こんにちは、新入生として最初の記事を担当するToshiです。


私が大学院生になってから、以下のような言葉をかけられることが増えました、「勉強が好きなんだね」とか、「社会にはいつ出るの?」とか、もしくは、「将来は国際機関で働くの?」とか、「研究者になるの?」とかです。


これらの言葉から、あたかも大学院に進学することは、小中高から続いていた「学生」という身分の延長線上または、将来のキャリアの為であるように語られることが多いことに気が付きました。


もちろん、大学院にそういった側面はあります。


しかしながら、このような会話の中で感じたことは、「勉強」と「学問」という二つの異なる概念を混合している人が多いのではないか、ということです。


東大に在籍しておいてなんですが、私はこれまで「勉強」が好きだと感じたことはありません。


小学校二年生の頃、漢字のテストで赤点を取り続け、親を呼び出されたことがあったり、中学校の三年生の時には成績が悪すぎて、行ける高校がないとまで言われました。


大学受験の際も、「勉強」は得意でなかったため、科目数も多く、難易度の高い入試を課す、東大はそもそも射程圏内ですらなかったです。


学部で通っていた大学での生活の一コマ


では何故卒業後、就職をせずに、大学院に進学したかというと、大学で「学問」の楽しさに目覚めたからです。


私は「学問」と「勉強」は似て非なる概念だと考えます。


例えば、会社に入り、「英語」や「会計」の「勉強」をしますが、「学問」をするとはいいません。


では、「学問」とは何でしょう。


「学問」というと固いイメージで近寄り難いものですが、身近な言葉で言い換えられ、どんな人でも一度を行ったことがある行為だと思います、それは「知的好奇心の探求」です。


誰もが子供の頃は知的好奇心を持っていたはずです。


「アリさんの家はどうなっているんだろう?」

「チョコレートってどんな植物で、どこに生えてるんだろう?」

「飛行機ってどうやって飛ぶんだろう?」


自分たちが生きている世界に、疑問を持ち、観察したり、本を読んで調べてみたりと行動を起こしていたこと自体が私は「学問をする」ということだと思っています。


僕は小さい頃から社会の中にある、格差、差別、などに強い関心がありました。


「生まれた所が違うだけで、ご飯が食べれない人がいる、何故だろう?」


「皮膚が違うだけで、殺されてしまう人がいる、何故だろう?」


「信じているもが違うだけで、仕事につけない人がいる、何故だろう?」


毎日のニュースや、学校の授業で聞く、世界にある、そして日本にある格差や差別に「何故だろう?」と強い疑問がありました。


色んな世界に飛び込んだ大学生活


その強い知的好奇心を持ったまま、大学に進学し、分かったことは社会問題はもっと複雑だということだけでした。


例えば、『タイでは少数民族による焼畑農業が問題として、森林減少が進んでおり、地球温暖化の原因として指摘されています。』というニュースがあるとします。


これまでは、少数民族→貧困→焼畑→森林火災→地球温暖化というような、シンプルな構図で問題が分かった気になっていました。


しかしながら、問題はそんなに単純ではなく、「少数民族」「貧困」「地球温暖化」などの全ての定義は誰かの意図があって作られたものであり、その背景にはまたさらに複雑な要素が絡み合っていることがわかりました。


ですが、面白いことに、大学で学べば学ぶほど、その複雑な問題に星の数ほどの問いが立てることがわかりました。


「そもそも伝統的に自然と共存しながら行っていた焼畑農業が現代になり森林減少の原因になったのは、何故だろう?」


「そもそも少数民族がその地域に住むのは、何故だろう?」


「何故だろう?」といった素直な問いが私の中で無限に溢れて止まらなくなりました。


そのため、大学院は、「勉強」をさせられるのではなく、自身の知的好奇心に純粋に従い、問題に対して真っ向にぶつかることができる場だと考えています。


数ある研究室でも、佐藤研では、私がこれまでずっとモヤモヤしてきた、そしてワクワクして学んできた分野の研究ができると考えました。


そもそも貧困とは何か、開発とは何か、援助とは何か、などの形而上学的な問いから、政治学、社会学、文化人類学等の社会科学の視点から考える環境政策まで、私にとってドンピシャな研究室が佐藤研でした。


私はこうやって大学院で学べる機会があることは本当に恵まれていて、幸せなことだと感じます。


古代からの歴史を見ていても、学問とは、経済的に豊かな社会で成長してきたものだと思います。


今、私がこうやって知に向き合えているのは、ここまで世界を発展させてきた先人達、そして今の社会を支えている人々のおかげだと考えます。


周りの人々に感謝の心を忘れず、幼い頃から沸き続ける問いに答えるために、これから学問に励んで行けたらと考えています。


まだ、修士研究のテーマも決まってないのに、学問なんて対それたことを語っちゃいましたが、最初のブログはこの辺で。


P.S.

諸説ありますが、カバー画像は16世紀の画家ブリューゲルによる作品です、この絵に私のメッセージが込められているので、是非考えてみてください。




閲覧数:791回0件のコメント

Comments


bottom of page